ヤマハ4HC「MAJESTY250(マジェスティ250)」(1型)

ヤマハ・ビッグスクーターの代名詞となった「マジェスティ」シリーズの初代モデルです。水冷4サイクルエンジンを搭載。発売は1995年から。メットインボックス(シート下の収納スペース)を装備した初のビクスクという位置付けです。工場出荷状態でサイドボディに「Majesty」のロゴ。流線形のシルエット、お尻がやや直線的なのが特徴。

車台番号はこちら。
乗った状態で右側。サイドモール下にちょっとフレームがはみ出しています。その拡大図。
型式認定番号シールの隣辺り、フレームに直接刻印されています。地面から斜め上にのぞき込まないと見えにくい位置です。4HC-OOOOOO、車名:ヤマハ、型式:4HC、エンジン型式:4HC、排気量:249cc。

【補足】ビクスクの歴史
125㏄を超えるクラスのスクーター(ビッグスクーター:ビクスク)の歴史は意外と古いです。1950年代にはラビットやシルバービジョンなど大流行モデルが登場。でもこの頃は高度経済成長の時代。「一家に一台・四輪車を」、車を所有することが社会的ステータスを示す雰囲気でした。バイク、ましてやビッグスクーターは売れない。そんな定説が生まれ、第1次ビクスクブームはすぐ衰退しました。
70年代に入り、住宅事情や交通渋滞増加で、維持費の安い50クラスのスクーター人気に火がつきます。それが拡大して82年にはヤマハからシグナス180が登場。続いて84年にはホンダからスペイシー250やヒュージョンが登場。一般道路で乗用車を楽にリードできる機動性に加え、都市高速にもそのまま乗れるスクーターとしてそれなりに売れたのですが、人気としては今一つ。ビッグスクーターは売れない定説を覆せませんでした。
そして95年に登場したのが今日ご紹介の4HCマジェスティ250です。このモデルのコンセプトは「スポーツ性と快適性を兼ね備えた高級ビッグスクーター」。当時クラス最高の21psを誇るエンジンを積み、フロントディスクブレーキ、インナーと床下とシート下に大容量収納スペースを備え、スクリーンとボディを一体的に形成した近未来的な流線型フォルムで、現代ビクスクのひな型とも言える形で登場しました。当時ヤマハでは年間販売計画を4000台と見込んでいたのですが、初年度からわずか4カ月間でそれをクリアし、異例のヒットとなります。しかしこれは、数年後に登場する後継機SG03J型(2代目マジェスティ250)がもたらす、空前の大ブームの単なる予兆にすぎませんでした。以降、ホンダからはフォルツァ、スズキからはスカイウェイブなど、似たようなコンセプトのビクスクが次々と投入され、第2次ビクスクブームが到来しました。

【引き取り事例】
ビクスク大ブームも一応収束し、引き取り依頼は年々増加傾向にあります。ブーム時は買い取り業界というかオークション市場を賑わせていたビクスクですが、今は需要より供給の方が圧倒的に多く、買い取りはおろか処分料かかると言われるほどにまで在庫が溢れてます。なので、無料系の当社辺りに集中して流れてきている感があります。外国でも同様の状態で日本から上手く流れません。さらに近年の廃プラ問題もあってビクスクの取り扱いは年々難しくなりつつあります。さみしい話ですが、将来的には状態によって引き取りできない事態になるかも。乗ってないビクスクをお持ちの方は早めのご決断をお勧めします。4HC型に限って言えば、最近はあまり縁がありません。製造販売期間が実質数年のみ、もともと数が少ない。ここ5年で数例のみです。その数例はいずれも改造パーツが使われてる個体が大変少ないように感じます。初代ということもあってご依頼の方は年配の方が多く、純正を大切にしてメンテナンスも欠かさない、大事に使われてたものばかりのようです。

今日の事例

午前中は粕屋町と志免町、午後は福岡市と佐賀市に行ってきました。
上段は今日ご紹介した4HCマジェスティとSA26Jビーノ。下段は2台ともAF61トゥデイ。ビーノはエンジン実働。4台中4台ともナンバープレートの手続きも承りました。

5月は納税通知書が届く時期です。この納税通知書が届くことによって、自宅(の倉庫とか納屋とか)奥の方に放置されたままのバイクの存在を思い出し、引き取りご依頼してくださる方が少なからずいらっしゃいます。そういう方のバイクは、いろんな荷物の下敷きになってる事例が多いです。人力で出来る範囲なら、こちらで整理整頓してバイクだけ奥から引っ張り出してことも無料で出来ますので、思い出したこの機会に是非ご依頼下さい。